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2015年6月26日 (金)

2015年6月のコラム ~サイアザイド類似薬とサイアザイド利尿薬~

2015年6月の薬局にソクラテスがやってきた
サイアザイド利尿薬、サイアザイド類似薬、サイアザイド系利尿薬。
心血管系と利尿作用のどちらに重きを置くか。

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【第34回】


 Twitterでこんな質問がありました。「なぜARBとサイアザイド類似薬の合剤を作らないのだろうか?」と。今回のケースでいえば、塩野義のイルベタン+フルイトラン(イルトラ)に対抗するなら、アバプロ+ナトリックス(もし出るなら「アバックス?」)ということになるでしょうか。

 でも、これは出ないと思います。ヒントは今回の記事のイントロ部分、症例の設定のところにあります。

 Nさんは最近退職したばかりの65歳の男性で、心筋梗塞の既往があり、たくさんの薬を服用している。惜しいのは、心筋梗塞ベースであるにもかかわらず、ACE阻害薬による血管浮腫の副作用歴があるために、ARBを服用しているという点だ。空咳くらいなら、何度でもACE阻害薬にチャレンジしたいところだが、血管浮腫となると近付けない。

 そうです。NさんはACE阻害薬を使いたくでも使えない状況に設定してあったのです。つまり、サイアザイド系利尿薬で心血管系イベント抑制効果に優れるものを選択するのならば、当然RA系でもそうすべきです。

 ということは、「アバックス?」なるものを発売してPRするとなると、当然、おススメの症例にはARBではなくてACE阻害薬を勧めなければ筋が通りません。だから、ARBとサイアザイド類似薬の合剤は発売されない。そういうことだと思います。

【第35回】


 GFR<30において、サイアザイド系利尿薬はなぜ効果が乏しいのか? それがループ併用だとなぜ使えるのか? ループ利尿薬で利尿が得られれば、少なくとも作用部位である遠位尿細管に到達するターゲットとなるNaと薬物量がともに増える。ループ利尿薬との併用であれば、また活躍するチャンスはある、というわけです。

 記事の内容以外にも病態的な理由もありますが、それは次回、第36回にて触れる予定です。そもそもループとサイアザイドを併用する状態になってしまうのはなぜなのか? これについてはループ利尿薬抵抗性について触れなればなりません。が、記事のボリュームの問題もあり、今回はそれ以外で1本の記事にしました。

 そして、じつはこのテーマを2本に分けた理由がもう一つあります。それは第34回の反響の中にありました。ナトリックスなどのサイアザイド類似薬は良くて、サイアザイド利尿薬は悪いという二元論。エビデンスがあるかないか、物事はそんなに単純ではないわけです。

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2015年6月12日 (金)

第48回日本薬剤師会学術大会(鹿児島)のご案内 その1

11月23日(月・祝) in 鹿児島
分科会12「ICTによる情報の共有と活用」
豊見さんが日経DI online コラム陣をまとめ上げる!

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大会HPはこちら


 皆様、おつかれさまです。今年の日薬は鹿児島です。鹿児島といえば、そうあの人。薬剤師界のジョブズこと原崎大作。彼が仕掛け人ならば、それはおもしろいに違いありません。だから、僕も混ぜてもらいました。もとい、僕らを!

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 エビデンスの伝道師こと青島周一、炎上仕掛け人こと熊谷信 、そして僕、山本雄一郎が参戦します。いや~、わくわくしますね。もっとも僕らと大作氏では不安なことこの上ないので、豊見敦先生に基調講演を賜り、仕切ってもらいます。

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 分科会12です。会場はなんと900人収容とのこと。詳細はまた追って、ご報告致します。皆様のお越しをお待ちしています!! 

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 ちなみに演題募集期間は来週17日までとのこと。熊谷さん、青島さん登録終わりましたか~?

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2015年6月 5日 (金)

人間が共同的に生きてゆくためには「急激に変化しない方がよいもの」がたくさんある

「集団を定常的に保つ働き」の重要性が
今の社会では忘れられている(p. 93)



【connecting the dots】

 自分が今していることの意味は今はわからない。人はいつでも計画的にものごとをしたがる。まずこれをやって、それからこれをやって、これをやると、あそこに到達するだろう。そういうふうに考える。でも、実際には現時点から予測的に未来を見通すことはできない。自分が今していることの意味は事後的に振り返った瞬間にわかる。後ろを振り向いたときに(looking backward)はじめて「点がつながる」。

(内田樹、釈徹宗『日本霊性論』NHK出版新書 P. 49)
 
 あのプロセスは、あのときの出会いは、あの出来事は、あることを達成したのちに、事後的に振り返った瞬間に、その一つひとつの必然性がわかるという。それらはあらかじめ定めていた計画や目標などでは、予断では、決してないのだろう。むしろ、そういったものに縛られているとしたら、それは人生にとってやっかいな障害になるかもしれない。

 予断に縛られず、偶然進んだその道で、そうするしかなかった過程において、予想外のことを乗り越え、受け入れていく。「偶然以外何ひとつリアルなものはないのだ」とポール・オースターは言った。僕もそう思う。そもそも人と人の出会いなんてすべて偶然だ。

 もう一つセリフを思い出した。「生きているというのはすなわち、思い出すことなのだ」(@カポーティ)。そうやって思い出す事柄は、僕という人間を形成するうえで、きっと点でつながっていることなのだと思う。
 
【考える習慣を身につける】

 この「グレーゾーンには専門的知見を備え、そのために心身を整えたものが立たなければなりません。(中略)そのためにこの境界線には裁き人がおり、教師がおり、医療者がおり、聖職者がいる。僕はそういうふうに考えています。そして、この境界線を守る人たちのことを「歩哨」(センチネル、sentinel)と名づけています。(中略)歩哨が立っていたおかげで実は「歩哨がいなければ起きたかもしれない」無数の災厄が回避された。でも、誰もそれを知らない(なにしろ、災厄は起きなかったのですから)。歩哨自身も自分がそれほどの功績を果たしたことを知らない。「何もなかったよ」と報告して「はい、ご苦労さん」と言われて終わりです(それさえ言われないかもしれません)。でも、そのような歩哨たちの、称賛によって報われることのない奉仕によって集団の安寧は保たれている。

(内田樹、釈徹宗『日本霊性論』NHK出版新書 P. 90-93)

 司法と医療と教育に対しては政治からも市場からもメディアからも激しい攻撃が仕掛けられています。告発自由はそれぞれに違いますが、言い分は一緒です。「社会の変化に即応して制度が変化していない」です。これに関してはすべての論者が一致しています。「社会的共通資本は急激な変化から社会を守るためにわざわざ惰性的に制度設計してあるのだから、それに対して『変化が遅い』という批判を加えることは筋が違う」というかたちで制度防衛の論を立てる人をぼくは見たことがありません。

(内田樹、釈徹宗『日本霊性論』NHK出版新書 P. 99)


 いまの世の中では、「エビデンスが示されないものは端的に存在しないものに分類される」ことになる。ということは歩哨の働きも存在しないものに分類されてしまう。

 薬剤師の業務というのは、この歩哨そのものだ。副作用を未然に防いだり、相互作用を回避したりすることで、災厄は起こらないわけだから。それを評価することは難しいのだろう。いわんや患者に対して、医師の間違いを指摘して、患者の不安を煽るような、医師と患者の信頼関係を損なうようなことはするはずもない。むしろ、不安を与えないようにふるまうのが常識だ。目に見える行為は副作用の早期発見くらいだろうか。

 僕の嫌いなフレーズ、それは「生き残る、生き残れない」といったものだ。この言葉の意味は、要は社会の変化に応じなさい、変化しなさいということに他ならない。もちろん、変化が必要なものもあるだろう。だがその前に、前提の話がすっぽ抜けているのではないだろうか。つまり、変化していいものと変化してはいけないものがある、といった議論の前提ともいうべきものが。なぜ現在のような制度設計になっているのか、といった歴史の振り返りともいうべきものが・・・。

 歩哨の話のところでサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が引用されている。なるほど、ホールデン少年は歩哨の仕事をしたかったのか。

 「ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういいうものになりたいんだ」。

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