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2015年5月 1日 (金)

「考えるといってもいろいろな考え方があるけれども、生活習慣として見れば、それほど難しいことはない」

「知的に活発でありうるためにはしばしばじゃまな知識をあえて棄てなくてはならない」(p. 92)



【どうしたら知識のもつ毒をなくすことができるか】

 知識を得たら、すぐに、使わない。時間をおいて、変化するのを待つ。善玉忘却によって知識を解体、浄化するのである。“時”の力を加えることで、知識は変容し、昇華する。正確でなくなるかもしれないが生産性を獲得する。そういう特化した知識は、思考と対立しない。
 
 知識は貴重である。ただ生のままでは、思考を封じるおそれがある。思考にとって役立つ知識は、善玉忘却をくぐってきたものである。

(外山滋比古『知的生活習慣』ちくま新書 P. 48-49)
 
 講演会の依頼が時折ある。苦手ではないけれどもあまり好きではない。なぜなら、書くことは前向きに進んでいる感じがあるのに対して、話すことは、話すためにプレゼン資料を用意することは後ろ向きの感覚しか持てないからだ。それで伸ばし伸ばしにしていたツケがたまり、5月は3回も話さないといけない。

 内容はなんでもいいと言われるのがいちばん困るのだが、次に困るのは“どうやって勉強すればいいのか”といったお題だ。よくよく聞いてみると、勉強の方法というよりも考え方をどうやって身につけたのか、といった内容に近い。つまり知識ではなく思考だ。

 であるならば、まずは“得た知識をすぐには使わない”ことだ。ナマものは手ごわい。そこで“時”の力を借りることになる。うまくいけば、それは“発酵”する。正確ではなくとも生産性を獲得した“特化した知識”となる。つまり有益なものになる。

 ただし“腐敗”することもある。発酵も腐敗も時の力によるものだが、知識の場合、腐敗すらも有益である。なぜなら、それは忘却によって、考えるための頭の容量を空けてくれるからだ。
 
【考える習慣を身につける】

 知識人は、あらゆることを既知によって処理できるとし、実際そうすることで、独自の思考を怠る傾向がつよい。

 結局、普通の人がもっともよく考える人間になりやすいということになる。

 考えるといってもいろいろな考え方があるけれども、生活習慣として見れば、それほど難しいことはない。

 腑に落ちないこと、わからないこと、不思議なことに出会ったら、素朴に、「なぜ」「どうして」などと自問するのである。すぐ本を調べたりすることは必ずしも賢明ではない。疑問はいつまでも疑問としていだいていれば、そこにおのずから独自の思考が生まれるきっかけになる。
 

(外山滋比古『知的生活習慣』ちくま新書 P. 93-94)


 考えるといっても、「さあ、今から考えるぞ」というわけにはいかない。なにかきっかけがいる。そのきっかけこそが「なぜ」「どうして」だ。

 僕らの業務はこの「なぜ」「どうして」に回答しなくても、だいたいはこなせる。基本的には困らないことが多い。だが、応用は効かない。とうぜんだ。知識を右から左に動かすことはできても加工ができないというわけだ。

 手を加えるにはその構造を知らなければならない。このとき、すぐに調べるのは賢明ではない。今風にいえば、すぐにググるのはよくない。なぜか。もったいないからだ。その効率と引き換えに失うものがある。

 まずは、調べる前に考える。仮説を立ててみる。使える概念がないか当てはめてみる。そうして得られたものが、たとえググって数秒で知り得たものと内容が同じであっても、じぶんで手にしたものとはまったく違う位相にあることは間違いない。

 僕は何一つとして、新しいこと、新しい知識を創出することはない。だが、エディットすることはできる。情報誌が情報の選択や順番、組み合わせなどを通して、その存在価値を放つように。だから、僕は小さな「なぜ」「どうして」を大切にする。そのときに“すぐに使わなかった知識”が時の発酵作用を経て、ポコポコと音を立ててくれる。きっと、そういうことなのだと思う。

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コメント

初めてコメントさせていただきます。
今春より薬剤師として歩み始めたひよこと申します。

「薬局にソクラテスがやってきた」シリーズは学生のころからのお気に入り記事で、いつも勉強させて頂いています。
ひのくにノ薬剤師さんの基礎・臨床を問わずに様々な観点から薬剤・患者さんを見つめる姿勢を大変尊敬しております。

似たような質問ばかりで辟易しておられるかもしれませんが、質問させてください。
ひのくにノ薬剤師さんの知識はどのような方面から得ているものなのでしょうか?また、学びの原動力はどこから得ているのでしょうか?

当方、自身の得た知識を患者さんに還元できる日を夢見て勉強を続けており、自分にできることは何か模索しておりますが、同時に知識が実践を伴わないものになってしまわないかという不安もあります。

ひのくにノ薬剤師さんの仰る通り、これが調べる前に考えるという行為を排除したものにあたると思いますが、ぜひご指導とお叱りの言葉をいただきたくコメントさせていただきました。

投稿: ひよこ | 2015年5月 5日 (火) 20時47分

ひよこさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
薬剤師としての意識の高いスタートに感嘆しました。また、自分のときと比べると頼もしいかぎりです。

ソクラテスは楽しんで書いています。ということは原動力の一つに「薬学の面白さを伝えたい」というのもあると思うんです。きっと。いまはじめて気がついたりして。

調べる前に考えるとの提言は、同時にネットの問題点を考えることでもあって、それは「すぐにわかる」という、そのことなんです。それは数学の公式を教わるのに似ています。やはりなぜそれが成り立つのかと自分でやって、手間をかけないと面白いと思うこともないし、ほんとうにわかることにはならない。

知識自体はいろいろな方面からとしか言いようがありませんが、僕は製薬会社やMRも否定しません。情報というものは受け取り方でどうとでもなります。さらに、一人でやっているわけでもありません。いま流行りのオフ会ではない、仲間と学びを作っていくといいと思います。

不安は誰にでもあります。そもそも人間は根源的に不安なものです。自分が今していることの意味というものは誰しも今その時点ではわからない。でも事後的にはわかる。ジョブズが「点がつながる」といったのも、そういうことだと思います。

以上、抽象的で申し訳ありませんが、付帯条件というか環境というか、そういうものを勘案しないと具体的なものは出てきません。A地点で有効なものがB地点で有効とは限りません。常に具象から抽象へという上りのルートだけなのです。

それではお互いがんばっていきましょう。またコメントください。では。

投稿: ひのくにノ薬局薬剤師。 | 2015年5月 6日 (水) 16時02分

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