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2015年4月24日 (金)

2015年4月のコラム ~SGLT2i特集~

2015年4月の「薬局にソクラテスがやってきた
SGLT2iはクラスエフェクトでいいと思う。
わずかな差よりも重篤副作用の予防・早期発見だ。

30fig1

 第30回、31回はともにSGLT2阻害薬がテーマです。薬歴公開では「SGLT2とBGの危ない関係」で話題にしています。

【第30回】


 僕自身、「かゆみ=アレルギー性の副作用」と考えていました。乾燥、脱水から、つまり薬理作用が関与する副作用が多く含まれているという事実を知ったときは驚きました。まったく、想定すらしていなかったものですから。

 指摘されるとそのような患者にも遭遇するようになりました。そして、保湿対策でSGLT2阻害薬を続けることができる患者も。

 ただし、気をつけてほしいことは、「SGLT2阻害薬の皮膚症状=乾燥、脱水」と安易に考えてはならないということです。まずは重篤な副作用ではないか、と疑うことが大事です。

 *「SGLT2阻害薬の適正使用に関するRecommendation」はこちら

【第31回】


 本記事のメインテーマはSGLT2阻害薬という薬効群に関する考察です。

 各社が訴えるSGLT2への選択性のその数字に意味があるのか? そもそも選択性は高い方がいいのか? SGLT1/2阻害薬の開発も進んでいると聞きます。

 僕の意見としては、あくまでこの薬効群はクラスエフェクトでいいと考えています。その差はわずかではっきりとしない。それよりも共通して存在する重篤な副作用の予防(ならびに早期発見)に努めるべきだと思うのです。

 

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2015年4月17日 (金)

清張記念館

 地下駐車場から地上に上がる。暖かい日差しほどには空が青く抜けていない。それどころか遠くは霞んでいるように見える。あとで知ったところによると、この日、北九州地方には今年初のPM2.5の警報が発令されていた。

 目的地へと歩き出すとすぐに小倉城が見えてくる。さっそく写真に収める。地元の城をいまさら? 子供のころからさんざん見ているのに? そう言われては返す言葉がみつからない。しいて言えば、城がそうさせるのだ。もちろん、口には出さないが、重厚な装備と高そうなレンズを装着した数人のカメラマンが無言のエールを送ってくれていた。

Photo


 小倉城を写真に収めるのなら城だけにすべきだ。紫川の対岸から、ひいて写真に収めようとすると小倉城よりも大きな市庁舎やリバーウォークの奇抜なフォルムが目立っていけない。特に市庁舎がいただけない。まるで、僕が子供のころに流行った超合金のロボットのようだ。城とロボット、なんというミスマッチ。さしずめ、リバーウォークは怪獣といったところだろうか。

 目的地は松本清張記念館。とくにファンというわけではないが、北九州出身者としては訪れないわけにはいかない。と思いつつも齢を重ねてもうすぐ四十。きっかけは自分で作らないとなかなか行動には結びつかない。

 下調べもなく赴いたのだが、折よく特別企画展『玄人』が開催されていた。清張古代史テーマの一つ。そこで僕の目を引いたもの、それはテーマでも、作品でもなく、清張の姿勢とも言うべきものだった。おびただしい数のカード。その一つひとつには古代史についての情報がぎっしり書き込まれている。清張はこのカードの手法を60代後半から始め、本人が実感しうる効果を上げたようだ。清張曰く「もっと早くからやっていればよかった」と。

 そのほかにもテーマごとのノート類。もちろん清張の再現家屋にはいくつもの書庫が。そう無から有は生まれない。

 僕たちは結果だけを目にして、才能の一言で片づけてしまう。でも、こういう記念館や資料館では、その過程を垣間見ることができる。清張ほど圧倒的な仕事量をアウトプットするためには、それを凌駕するインプットはあって然るべきだ。だが本質はそこではない。

 「重要なことは、けっして使い尽くすことのない資本をつくることだ」ゲーテはそう言った。清張にはそれがあった。だからこそインプットすればするほど、アウトプットができたわけだ。もちろん、それはこれですと指し示すことができるような有形のものであろうはずもない。

 ネット時代の僕らはすぐに答えを探し求める。仕事の場においてもその姿勢は変わらないようにみえる。ネット検索術が僕らにとっての「使い尽くすことのない資本」なのか。そうではない。そうではないはずだ。ショーケースのなかに鎮座する赤ペンの入った清張の遺稿を見つめながらも、僕の思考は、僕を貫き、僕らの仕事の本質へと馳せていった。

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2015年4月 3日 (金)

「刻むことでしか、形は見えてこない」

「最も心に残っている言葉は、外に求めるな、という一言だった」(P. 192)



【ひとつ上のステージに上がるとき】

 本当の剣の勝負というのは、双方の力が拮抗しているとき、考えの間に合わない、咄嗟の返しで決着がつくことが多い。それは、いわば死に物狂いの一打であって、打とうと思って打った刀の筋ではない。逆にいえば、死に物狂いにならなければ勝てない。何故なら、落ち着いているときよりも、死に物狂いの方が僅かに速いからだ。ところが、それは剣の道を始めた頃のこと。最初は、死に物狂いが有利と信じ、己をその気持ちへ持っていこうとする。だが、あるときから、そうではなくなる。
 
 自分の経験でいえば、それは七年ほどまえのことだった。あるときから、死に物狂いよりも速い振りができるようになった。(中略) 

 死に物狂いでは遅くなることを知るのである。これを知った者は、剣の道では一段高いところへ到達するだろう。

(森博嗣『スカル・ブレーカ』中公文庫 P. 91-92)
 
 若いうちはがむしゃらでいい。でもある程度になると、努力しても成長しない。その曲線は頭打ちとなる。よく耳にする成長論だ。換言すれば、ブレイクスルーが必要ということだ。そして、それは主人公ゼンが言うように事後的にわかる。

 では、どうすればそれができるのか。それを言葉にするのは難しい。しいて言えば、それは手法にあるのではなく、目的そのものにあるのだろう。
 
 
【己を刻むことでしか、形は見えてこない】

 「・・・。木を刻んで、仏の像を造ってみればよろしい。木のどこを削るのが正しいでしょうかな? どこを削れば間違いですか? 剣に求められるものは、強さですか? 正しさですか? それとも、もっと別のものですか? そのように求めることで、それが一つだと思い込んでしまう。しかし、なにものも一つではない。すべてを見て、あらゆる面から捉え、近くから、遠くから、見据えて、眺めて、そのときどきで修正し、あちらを削っては、こちらを削ってみる。そのうちにだんだんと、己のもの、己が考えるものに近づいてきます。(中略) 刻むことでしか、形は見えてこない。己の内から現れるものとは、そのような日々の作業によって、僅かずつ近づくものでしかない。あそこだと目指して、到達できるものではない。失うのは容易いが、求めるには求め続けるほかはなく、しかも、ただ近づくという感覚があるだけです。おわかりになりますか?」
 
(森博嗣『スカル・ブレーカ』中公文庫 P. 178-179)

 師やロールモデルがある人は幸いだ。しかし、なくても悲観することはない。なぜなら目指したからとて到達できるものではないからだ。それでも、方向すら感じることができないのなら、やはり師やロールモデルは是が非でも必要だ。

 僕はといえば、方向は間違っていないと思う。僕には師がいるし、ロールモデルも何人もいる。近づいたと思うときもあれば、ずいぶんと遠のいて感じることもある。でも方角だけはわかる。

 刻むことで、それこそ文字通り、形にしたいとブログやコラムを書き続ける。そして、多くのことが形を刻むその過程ではじめて見出せる。じぶんの考えが。じぶんそのものが。

 どこを削るのが正しいかなんてものがないように、まずは削ってみることだ。「刻むことでしか、形は見えてこない」。削るのはじぶんだ。外をいろいろ見て、あちらを削っては、こちらを削ってみる。それはいい。でも外に求めるのは違う。それはじぶんを削ってはいないからだ。

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