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2015年2月27日 (金)

2015年2月のコラム~グリベンクラミドとニコランジルの相反する話題~

2015年2月の「薬局にソクラテスがやってきた
グリベンクラミドとニコランジルに共通するキーワード
「心筋の虚血プレコンディショニング」


【第26回】


 関連の薬歴公開はなく、書き下ろしです。

 第26回と第27回のテーマは「心筋の虚血プレコンディショニング」です。グリベンクラミドが使われなくなってきている理由の一つでもあります。

 現在、市場で使われているSU薬は記事で扱ったグリベンクラミド、グリクラジド、グリメピリドの3剤くらいでしょう。でもグリベンクラミドはもうなくても大丈夫。むしろ必要ないかと。

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 グリクラジドとグリメピリドは少量SU剤として、また従来とは違った使われ方もするようになってきています。

【第27回】


 こちらも関連の薬歴公開はありませんが、ニコランジルの服薬指導の僕の考え方は記事に載せています。

 第26回と第27回とを合わせて読んでいただいたとして、さて、質問です。では、グリベンクラミドとニコランジルを同時に飲めばどうなるでしょう。

 これも記事を読んでいただけると納得していただけると思いますが、グリベンクラミドの圧勝でしょう。ということは心筋梗塞既往で、この2剤を併用している患者さんが、もしあなたの薬局にいらっしゃたら、疑義照会をかけてください。ニコランジルが無駄になりますって。

 最後に、鹿児島の野口先生からの追加情報。「代謝されてニコチン酸やニコチンアミド (ビタミンB群) となるのも心憎い点」とのこと。ほんとだ!

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2015年2月20日 (金)

叔父

 列車はスピードを弛め、ゆっくりと小さな駅に滑り込んだ。いや、この路線では大きな方か。ホームには『荒城の月』が流れている。豊後竹田か。列車がスイッチバックするくらいまでは覚えているが、それ以降の記憶がない。研修会の会場のある大分までは、まだ1時間くらいはかかるだろう。

 夢を見ていた。叔父の夢だ。「ユウが薬学部とはね」。僕の中の叔父はいつもお酒を飲んでいた。そして、たいていは昼間のことで、そんなときは冬なら熱燗、夏ならブランデーと相場が決まっていた。赤ら顔で、漢方でいえば実証でまず間違いないだろう。また、叔父は酒類のコレクターでもある。玄関には有名な焼酎や日本酒が所狭しと並んでおり、部屋にはブランデー専用のサイドボードまである。

 「お祝いにいい酒あけちゃろうか」。そう言ってはうれしそうに、高価そうなお酒を取り出す。僕はうやうやしく受け取ると、表のラベルの銘柄と裏のアルコール度数を確認する。僕は叔父とはちがってお酒に強くない。昼間の酒はそういう者にはかなりこたえるからだ。だが、気持ちは受け取らなければならないし、口実がなければ、コレクターは自分のアイテムには手をかけない。

 当時の僕にとって、ビール以外の酒類は、普通名詞の存在でしかなかったのだが、叔父の部屋では固有名詞で認識せざるを得なかった。しぜん里帰りの折の手土産は、珍しいお酒が中心となっていった。

 いつだったか、叔父がこんなことを言った。「薬剤師か。薬学部を出て、営業になったときはもったいないと思ったけど、遠回りしたほうがあとで得することが多いからな」。

 いま考えると叔父のこの言葉をそのまま借り入れて、僕の経歴の理由として後付けしたような気もする。物事を客観的に考えろなんて言うけれど、いくら客観的に考えたつもりでも考えている主体は僕なのであって、それは主観ともいえる。かくのごとく主観と客観は容易に切り離せるものではないらしい。その点、第三者は傍観的であり、客観よりもより客観的なわけだ。おかげで僕の転職は、人生の負い目になるようなことはなかった。

 社交的な叔父には来客が絶えなかった。そんな叔父の部屋には薄いストールを身にまとったきれいな裸の女性のパネルが飾ってあり、少なくとも僕が物心ついたときには、もうそれは叔父の部屋の一部として欠かせない存在になっていた。子どもの頃の僕にはとても不思議な光景ではあったのだが、そのパネルにいやらしさというものはついぞなく、叔父のいう「きれいだろ」にただ頷き、心を奪われるばかりだった。

 「薬剤師はたいへんか」。正月の帰省の際、金箔入りのおめでたいお酒を僕にふるまいながら叔父は言った。「オレはもう何年も病院には行くこともないけど、もういい齢だからな。会社もあと数年だろう。今は会社が居てくれと言うからな。後進を育て上げんといけんし」

 その叔父も65歳となり、年金暮らしに入っていた。継続は力なり、とは本来いい言葉なのだが、定年に関しては気をつけないと言ったのは外山滋比古だっただろうか。それによると、人間はリズムで生きているという。そして、リズムは速度を産み、力を伴って生活習慣を形づくる。それは車と同じとで、つまり急停車は危ないというわけだ。

 このことを思い出したのは、先日、叔父が脳出血で倒れたからだ。薬剤師という医療者でありながら。せっかく身内に健康のことがわかる人間がいたというのに。そんないたたまれない気持ちを吐露するように、言い訳のような独り言をつぶやいては、できたであろうという悔恨とできなかったという現実との間で引き裂かれているようだった。

 いつの間にか車窓から見える風景が開けていた。車窓ごしに空を見上げる。出発時より明るくなっていた空には、白い雲と灰色の雲がゆっくりと流れていき、明るい光と暗い光が交互に僕の顔に降り注いだ。大分駅を知らせるアナウンスが車内に流れる。「よっし」。僕は掛け声とともに立ち上がり、乗降口へ向かった。

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2015年2月13日 (金)

クレストールを重度腎機能低下患者に用いる場合の上限用量は5mgです

クレストールと腎機能。
疑義照会のライン。
胆汁排泄なのにね・・・

CASE 167

女性 90歳 

他科受診:なし、併用薬:なし

定期処方:
Rp1) バイアスピリン錠100mg 1錠   
    ダイアート錠60mg         1錠 
    レザルタスHD錠      1錠 分1 朝食後   28日分
Rp2)ネキシウムカプセル10mg 1C 
    クレストール錠5mg         2錠 分1 夕食後 28日分

*クレストールが5mg/日→10mg/日(1錠→2錠)に増量になっている

患者のコメント:
「コレステロールが高すぎるのが悪さをしているかもしれないと」

薬歴・患者から得られた情報:
① 血管痛の訴え
② LDL-C:240(FH)
③ S-Cr:1.4、Tall:140、BW:50→Ccr:21mL/min

疑義照会:
(内容)高度腎機能低下者にはクレストールは5mgが上限
    他のストロングスタチンは問題ない
(回答)クレストール錠5mg 2錠→リバロ錠4mg 1錠へ変更

□CASE 167の薬歴
#1 リバロ初回指導
  S) 血管痛(+) コレステロールが高すぎるのが悪さをしているかもしれないと
 O) LDL-C:240
   クレストール5mg→10mg→疑義にて、リバロ4mg
 A) リバロの服用初、念のため、横紋筋融解症の初期症状のアナウンス
 P) コレステロールの薬が変更に、飲み方は今まで通り。
   四肢の脱力感やコーラ色尿(+)→中止・受診
 
 
□解説
 クレストールが10mgに増量になっていた患者。90歳だしな~と思いながら検査値を伺うと、たしかにLDL-Cは高すぎる。ついでにS-Crも確認すると1.4とこれまた高い。Ccrを算出すると21で、高度腎機能障害を呈している。この場合のクレストールの上限用量は5mgだ。

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 患者はもうすでに上限の5mgを服用中のため、疑義照会を行う。とにかくスタチンをMaxで使いたいというDrの意向を踏まえ、他のストロングスタチンにはそのような縛りがないことを伝え、リバロ錠4mgへ変更となっている。

 これで疑義は解消されたため、リバロの初回服薬指導を行った。
 
□考察
 高度腎機能障害の患者にクレストールを投与すると、その血中濃度は3倍に上昇する。

Photo_2

 5mgまでなら3倍になったとしても、通常用量の上限の20mgまでに収まるが、10mgで投薬していたら、ちょっと怖かった。重篤な副作用である横紋筋融解症のこともあるが、他にも不安な点がある。用法・用量には、20mg投与時に腎機能のモニタリングを義務付けているし、IFを見ると、海外用量の40mgでは蛋白尿の発現頻度が上昇し、80mgにもなると血尿が生じている。

 つまり、クレストールは20mg以上相当の高用量になるとそれ単独で腎毒性があるようだ

 それにしても胆汁排泄型のクレストールが高度腎機能障害患者において、用量の調節が必要となる理由はなんなのだろうか? 僕はコラムで書いたように、ただ例外として覚えている(参照:サインバルタはどうして透析患者に禁忌なの?)。

 ここまで書いていて思い当たる。ゼチーアという選択肢もあったな、と。ここぞというときに提案できなければ、その知識は意味がないのに。まだまだだな。

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2015年2月 6日 (金)

「過去と現在の問題を現実の中でどのように析出していくか」

「ぼくたちは過去の遺産によって形作られ、それとともに生きなければならないのだから(P. 206)



【あなたがわたしの立場だったら何をしましたか?】

「わたしは・・・・・・わたしが言いたいのは・・・・・・あなただったら何をしましたか?」
 それはハンナの側からの真剣な問いだった。彼女はほかに何をすべきだったのか、何ができたのか、わからなかった。そして、何もかも知っているように見える裁判長に、彼だったらどうしたのかと尋ねたのだった。

(中略)

「この世には、関わり合いになってはいけない事柄があり、命の危険がない限り、遠ざけておくべき事柄もあるのです」
 ハンナと自分自身を引き合いに出しながらそう言ったのなら、その発言で充分だっただろう。しかし、何をすべきだとかしてはいけないとか、どんな危険が伴うかなどで言を弄することは、ハンナの質問の真剣さに対して不当だった。自分のおかれた状況の中で何をすればよかったのかをハンナは知りたかったのであって、してはいけないことがあるなんてことではなかった。

(B・シュリンク『朗読者』新潮文庫 P. 129-130)
 
 ナチズムに加担した人間に罪はないのか、といった歴史的な大きな文脈から切り離して、この場面を捉えてみたい。このハンナの問いに一人称で想いを巡らすのなら、さしずめ「正論に立ち向かう私」といったところだろうか。では、二人称なら? 自分の愛する人間が犯罪者だったなら?

 
【何ができないかを隠すために・・・】

そして、裁判のあいだも、文盲の露顕と犯罪者としての自白とを秤にかけていたわけじゃない。彼女には計算や策略はなかった。自分が裁きを受けることには同意していたが、ただそのうえ文盲のことまで露顕するのは望んでいなかったのだ。彼女は自分の利益を追求したのではなく、自分にとっての真実と正義のために闘ったのだ。(中略) 彼女は常に闘ってきたのだ。何ができるかを見せるためではなく、何ができないかを隠すために。
 
(B・シュリンク『朗読者』新潮文庫 P. 154-155)

 「何ができるのかを見せるためではなく、何ができないかを隠すために」ハンナは常に闘っていた。文盲であることを主張さえすれば、他の被告人がハンナを陥れようとしていることは明白になる。それでもハンナは言う。「専門家を呼ぶ必要はありません。報告書を書いたのはわたしです」。

 そんな闘いがあるのか。価値観なんて、そんなゆるいものではない。ハンナのプライドが、人間としての尊厳がそうさせたのだ。


【ぼくたちの人生】

人生においてぼくはもう充分すぎるほと、決断しなかったことを実行に移してしまい、決断したことを実行に移さなかった。
(B・シュリンク『朗読者』新潮文庫 P. 25)

幸せというのは、それが永久に続く場合にのみ本物だというのか?
(同書 P. 46)

逃避というのは、逃げ去ることではなく、到着することでもある。
(同書 P. 205)

ぼくたちの人生は何層にも重なっていて、以前経験したことが、成し終えられ片が付いたものとしてではなく、現在進行中の生き生きしたものとして後の体験の中に見いだされることもある。
(同書 P. 246-247)

 人生とはそんなもので、人生そのものがどこかにあるわけでもない。人生をどう捉えるかというのも定義次第ではあるし、それは多重的に生きることもできれば、何度も見いだされることもある。ただし、どんなアプローチであれ、人生を見つめるという作業が欠かせない。きっとそこでは孤独という必要条件が要求される。

 「自由には決して手が届かない」かもしれない。どこまでもどこまでも。だからぼくたちは不安になる。この不安こそが現実で、それこそがぼくの人生でもあるのだ。

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