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2013年12月27日 (金)

2013年のふりかえりと2014年の抱負

2013年ラストの記事。
ということで、ふりかえりと抱負。
ブログは6年目に突入しました。

【ブログの内容】
 今年も週一回の更新を続けることができました。症例が2本と本を読んで考えたこと、そして漢方薬。枠組みを決めて、決めた日程に沿って書いていく。でもそれは「書かないといけない」状態にもっていくためのルールではありません。

 「言いたいことがあるから書いている」のですが、真っ白の状態から書くのはとても難しい。そのためのルールなんです。言いたいことはたくさんあるけれど、自由に書いていいとなるとキーボードを打つ指が止まってしまう。だから制約を加える。限定すると限られたものの中からのチョイスになるので、はじめの一歩が踏み出しやすくなります。

 そして、書きすすめると言いたいことが変わってくることがあって、「ほんとうに言いたいことはこれだったのか」ということが起きてしまう。それはとても楽しいことです。ということで、2014年もこのスタイルを継続していこうと思います。

【2014年の予定】
 ブログで実名を公開してから、講演や取材、そして日経DIクイズの執筆など、2013年は活動の幅が広がる年となりました。すべては「薬剤師ブロガーセミナー」からだったような気がします。

 また、現在は誰もが発信できる時代ではありますが、匿名ではほんとうの信頼は得られないということを痛感した年でもありました。

 2014年もぼくの目標である「薬局薬学のエディタ」を目指し、ブログはもちろん、日経DIクイズ、安心処方infoboxのサーチ実践例などを継続していこうと思います。そして新たな活動として、日経DIオンラインのコラムにもチャレンジしていくことになりました。

 ぼくの発信が、とくに若い世代の薬剤師の何かのきっかけになるならば、こんなにうれしいことはありません。

【薬局薬学のエディタ】
 ばくは常に現場にいます。常に具体的なことから出発します。そこにはいつもジレンマのようなものがあって、逡巡を繰り返しています。

 一方で「正しい」ことがあります。それに反論することはできません。なぜなら、それは「正しい」からです。でもぼくは、「正しい」ことだけを選択していこうとは思いません。それはときにぼくのやる気を削ぎ、患者に不利益をもたらします。

 だからぼくは、「薬局薬学のエディタ」として、文脈ごとに、あるいはそのコンテンツではなく書き方や表現の仕方を通して、ぼくのモノローグを通して、何かを伝えることができたらいいなと思っています。

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2013年12月20日 (金)

ユニークな生薬 ~どこに連れていくのか~

辛夷が入っていると
牛膝が入っていると
柴胡が入っていると 他の生薬はどこに向かうのか?

【辛夷の案内先】
 辛夷は他の生薬と引きつれて、鼻へ向かう。副鼻腔炎に汎用される葛根湯加川芎辛夷や辛夷清肺湯がその代表である。

 No.2(葛根湯加川芎辛夷

 No.104(辛夷清肺湯)

【牛膝の案内先】
 牛膝は他の生薬を引きつれて、下肢へ向かう。たとえば坐骨神経痛や足のしびれに汎用される牛車腎気丸、これは上肢にはあまり効かない。事実、臨床応用も腰や下肢に集中している。上肢のしびれには桂皮を含んだ桂枝加朮附湯(18)を用いるとよい。

 No.107(牛車腎気丸

 No.97(大防風湯

 *例外: 大防風湯によく似ている疎経活血湯(53)は牛膝を含んでいるが、羗活や威霊仙などの他の生薬の働きで遊走性の全身の痛みをカバーしている。

【柴胡の案内先】
 「肝」とは肝臓ではなく、気と血の流れや感情を調節する機能を指す。

 その肝がストレスなどで失調をきたすと、精神系や循環器系、消化器系とさまざまな症状を引きおこす。肝の失調を改善する生薬を「疏肝薬」といい、柴胡、枳実、香附子などがある。とくに柴胡は「肝の案内人」とも呼ばれる。

 No.12(柴胡加竜骨牡蛎湯

 No.54(抑肝散

 No.80(柴胡清肝湯):肝は目に通じる。よってアレルギー性結膜炎などにも応用される。

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2013年12月13日 (金)

ニフェジピンCRとクラリスロマシンの併用の結果とその対応

CYP3A4の基質と阻害剤の組み合わせ
血中濃度の変化と臨床上の変化
一般化された情報と個人データの融合

CASE 153

女性 64歳 

処方内容:
Rp 1)トーワミン錠25mg 1錠・ニフェジピンCR錠20mg 1錠 / 1x朝食後 28日分
Rp 2) マイスリー錠5mg 1錠 / 1x就寝前 28日分

*ニフェジピンCR錠20mg 2錠/2xより減量になっている

患者のコメント:
「きついしふらふらすると思ったら、血圧が88しかなかったの。でも脈は120もあるから心配で…」

お薬手帳から得られた情報(併用薬):
婦人科より Rp)クラリスロマイシン錠200mg 2錠/2x朝・夕食後 7日分
          Rp)ツムラ五淋散エキス顆粒 7.5g/3x毎食前     7日分

患者から得られた情報:
① 膀胱炎が治らないと思って婦人科を受診。膿がたまっていた。
② 併用薬を開始して5日目。
③ 下肢浮腫(+)

□CASE 153の薬歴
#1 ニフェジピン‐クラリスロマイシン併用に起因する問題へのアプローチ
  S) きついしふらふらすると思ったら、血圧が88しかなかったの。
    でも脈は120もあるから心配で…
 O) ニフェジピンCR減量 40mg/day→20mg/day
       併用薬:クラリスロマイシン 400mg/day
    下肢浮腫(+)
 A) クラリスロマイシンのCYP3A4阻害によるものだろう。
    不安に対してアプローチと併用が終わったあとのフォローが必要。
 P) 婦人科でもらった抗生剤との飲み合わせでニフェジピンが効きすぎたのでしょう。過降圧、頻脈、下肢浮腫すべてそのせいです。減量で解消すると思われます。ただし抗生剤の終了後に血圧が上がってくるかも。そのときはすぐに受診を。

□解説
 解説はとてもシンプルだ。CYP3A4の基質であるニフェジピンCRを服用中の患者が、CYP3A4阻害剤であるクラリスロマイシンを併用した。とうぜんニフェジピンの代謝が阻害され、その血中濃度が上昇する。ただ特筆すべきは、その汎用薬のよくある組み合わせとその結果の大きさだ。

 お薬手帳をみて、さらにクラリスロマインを飲み始めて5日目という事実に疑いを強める。過降圧だけではなく頻脈も起こっている。念のために足がむくんでいないかを尋ねると数日前からむくんでいるという。間違いない。すべてニフェジピン過量による薬理作用の延長線上の副作用だ。

 14員環マクロライド系薬のCYP3A4阻害様式は、アミノ糖の三級アミンの脱メチル化により生成した代謝物(ニトロソ中間体)がCYP450のヘムと共有結合を形成し、マクロライド・ニトロソアルカン複合体を形成するためと考えられている。このように、CYP3A4による代謝物が特異的にCYP3A4のヘムと複合体を形成しやすいことから、14員環マクロライド系はCYP3A4の自殺基質といえる。ヘムとの共有結合に起因するため阻害効果は強く、投与を中止しても持続する可能性は高い。
(杉山正康『薬の相互作用としくみ 全面改定版』日経BP社 P. 170-171)

 併用から4~10日後に相互作用の発現を認める場合が多いことにも注意したい。マクロライド系による代謝阻害はイミダゾール系による直接的な阻害と異なり、一度代謝を受ける必要があるため、阻害効果の発現に時間を要すると考察される。 
(同書 P. 173)

 医師がニフェジピンを減量したことで、過降圧や頻脈、そして下肢浮腫といったものへの患者の不安はそのうち解消するだろう。飲み合わせがよくなかったことを伝え、不安へのアプローチを図る。

 さらに問題がもう一つ。いずれクラリスロマイシンは終了する。すると、しばらくしてニフェジピンの代謝が元に戻ってくることになる。つまり降圧効果が弱まる。そこで、家庭血圧測定でのモニタリグを促し、血圧が上がってくるようなら、すぐに受診するようにアナウンスを行っている。

 
□考察
 ニフェジピンCRとクラリスロマイシン。たぶんいままで、たくさん同時に出してきたように思う。理論上の、つまりCYP3A4を介する相互作用のことはよくわかってはいる。ただ臨床上、問題になるような結果にはならないと考えていた。併用禁忌でもないし、クラリスロマイシンも通常用量だし…。

 こういう症例を一例でも経験してしまうと、やはり今後の対応を考えてしまう。ただ、いきなり説明しすぎてしまうのも服薬拒否につながりかねないので難しいところだ。

 しかし、少なくとも今回の患者においては、しっかりと今回の事実を薬歴のフェイスシートに落とし込むことで、次回からの対応は容易になる。クラリスロマイシンを避け、CYP3A4阻害の弱いルリッドもしくは14員環以外のマクロライドに変更してもらえばいい。

 そう、一般化された情報を個人データに融合させることこそが「現場の強み」なのだ。そして新たな個人データが生まれる。

 一般化をはねつけてこその医療だ。

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杉山正康『薬の相互作用としくみ 全面改定版』日経BP社
全面改定版となり、格段と見やすく、内容も豊富に。
第4章の薬物トランスポーターは必見。今後ますます重要になるだろう。

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2013年12月 6日 (金)

ひとつの端に居つかないことと哲学の定義

「両端を知ること」と「哲学をすること」
ワッシー先生の本を読むとすぐに脱線してしまう。

 【ひとつの端に居つかない】

 京都に生まれたことを、心底、幸福に思うことがある。(中略)

 なにが幸福かと言って、舞妓さんとお坊さんの存在である。その出で立ちである。

 一方は足し算の極致。白粉の顔におちょぼ口と大きな髷、極彩色の重ね着に、かっぽかっぽ音のする底の高いおこぼ。表面からシルエットまで、人工的な変形と華麗な装飾が極限にまで追求されている。

 他方は引き算の極致。頭はスキンヘッド、前衛派のデザイナーもたじろぐようなポペリスム(貧乏主義)の衣、そして足下は冬でも素足にわら草履。

 現代のほとんどすべてのファッションは、どれほど過激なものであれ、この二つの極のあいだにほぼすっぽり収まってしまう。若い頃、毎日こうしたひとたちとすれちがって学校に通ったので、服装も少々のことでは驚かない。アヴァンギャルドもバンカラも、ヒッピーもパンクもコスプレも、この街にはずっとなじんできた。

 両端がきちっと決まっていると、逸脱や冒険がのびのびとできる。想像力がおどおどしないで、ぎりぎりのところまで羽ばたける。

(鷲田清一『新編 普通をだれも教えてくれない』ちくま学芸文庫 P. 43-44)

 長々と引用してしまったが、「両端がきちっと決まっている」このフレーズに触れたときに、ファッションではなく、じぶんの仕事のことを考えていた。

 たとえば、糖尿病治療薬のアクトス。この薬はなにかと副作用の話題に事欠かない。心不全にはじまって、骨折のリスク、そしてフランスでの膀胱がんの話題。もちろんすべて添付文書にも反映されている。これがまず、ひとつの端。そしてもうひとつの端は、心血管系のイベント抑制だ。

 糖尿病の薬で、いくら血糖をコントロールしても、心血管系のイベントを減らすことはできない(もちろん三大合併症の予防はできる)。これはもう事実だ。しかし、メトグルコやアクトスではイベント抑制のエビデンスが報告されている。なかでもアクトスは善玉のサイトカインであるアディポネクチンを増やす唯一の薬でもある。アクトスは動脈硬化予防薬としては優秀なのだ。

 アクトスの副作用の端だけに立って、「この薬は不要である」とか「この薬は危ない問題のある薬である」と主張する方がいる。もちろん、副作用そのこと自体は否定できない。なぜなら、現実に起きているからだ(解析の仕方によって、解釈はいろいろあるだろうが)。だが、その立ち位置だけでは、メリットを考えることができない。

 また一方で、アクトスのイベント抑制効果の端だけに立って、「なんでもアクトス」というのもいただけない。現に先日、糖尿病でもないのにアクトスを心臓のために飲んでいるという患者に遭遇した。

 ぼくらが毎日目の前にしている患者というのは、先の二つを両端にした、そのなかのグラデーションのどこかに位置していることがほとんどだ。だから、ぼくらは「両端をきちんと知って」、そのうえでその中の「色合いを見極める」ことがたいせつなのだと思う。

 ひとつの端に居つかないことで、ぼくらの能力をのびのびと発揮させることができるのだと思う。

【「哲学する」ことの定義】

 「教養(宇宙について、社会について、人生について、その基本となるべき見方や価値観をわきまえていること)」から出発し、それを、思考実験というかたちで、論理的にぎりぎりのところまで揉みこみ、突き詰めていったもの、そしてやがてふたたび「教養」という名の思考の作法として各人の身につき、自他の生をこの宇宙、この社会のなかにきちんとマッピングしてくれる地図の役をはたすのが「哲学」であると、わたしはおもっている。

 
 それを鍛えるためには、胸を借りるべき別の考え方に深くふれることがなにより必要だろう。胸を借りるべき別の考え方というのは、過去の思想家の書き物であろうし、まだ同年代の、すぐ横で生きている人の考え方、あるいは生きる思いであることもあろう。いずれにしても哲学の「方法」として重要なのは、他者との語らいである。

(鷲田清一『新編 普通をだれも教えてくれない』ちくま学芸文庫 P. 67-68、カッコは補足)

 「自他の生をこの宇宙、この社会のなかにきちんとマッピングしてくれる地図の役をはたすのが『哲学』である」。

 哲学を定義するのは難しい。でもこの表現はかなりフィットする。

 まず「自他の生」だ。じぶんだけではない。他者が必要なのだ。ぼくという人間は他者との関係のなかで配給される。もしアイデンティティに迷う人がいるとすれば、そこに欠けているものこそが他者なのだ。

 つぎに「マッピング」。社会のなかにマッピングすると、社会からじぶんに求められる役割がわかってくる。これこそがじぶんらしさであって、アイデンティティだ。

 宇宙のなかにマッピングするというのは、じぶんの内面に対してのアプローチと捉えるとスッキリする。ぼくはなんのために生きているのか。なぜそう問うてしまうじぶんがいるのか。そうやって哲学は人間じたいを探求していくものでもある。

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