« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »

2012年9月14日 (金)

ユリーフによる逆行性射精

ユリーフによる逆行性射精
ユリーフの特性つまり薬理作用に起因する
デリケートな問題にどう対応していくか

CASE 125

60歳 男性 

処方:
Rp1) プレミネント配合錠 1T・フェブリク錠20mg 1T / 1x朝食後 28日分
 2) ユリーフ錠2mg 2T / 2x朝・夕食後 28日分

 * 前回は ユリーフ錠4mg 2T/2x朝・夕食後

 

患者のコメント: 「会社で立ちくらみがするからユリーフを変えてほしい、って言ったら、量を減らしてみようって・・・」

患者から得られた情報:
① 「立ちくらみはたいしたことはない」と減量による対応に不満な様子
② 以前、泌尿器科でユリーフの処方を受けたことがあり、逆行性射精の説明を受けたことがある
③ 当局から逆行性射精の服薬指導を行ったことはない(薬情にも記載はない)
④ 実際に精液の量が少ない
⑤ 医師には②~④については話していない
  「ついしゃべっちゃたけど、ほんとは(薬剤師にも)言うつもりはなかった」
⑥ 他剤変更への申し出→「先生に悪い」と拒否

□CASE 125の薬歴
#1 ユリーフによる逆行性射精

  S) 以前、泌尿器科で逆行性射精の説明をうけたことがあり、(精液の)量が少ない。
   「会社で立ちくらみがするからユリーフを変えてほしい」と申し出るも、ユリーフ減量となる。
 O)  立ちくらみはたいしたことなく、Drには逆行性射精については話していない。
   ユリーフ錠4mg→2mgへの減量に不満な様子。
   
   疑義照会の申し出も「先生に悪い」と拒否。 「ほんとは(薬剤師にも)言うつもりはなかった」。
 A) 重大な副作用ではなく、急ぐ必要もないが、Drと患者の橋渡しをする必要がある。
 P) 減量で改善がなくても、ユリーフの代わりになる薬はまだたくさんあります。
   先生に会ったときにそれとなくお話ししておきます(トレースレポート提出)。
  R) なんかのついででいいよ。わざわざ時間をとることでもないから。
 
□解説
 患者の訴えが言葉通りには受け取れない、「ほんとうに言いたいこと」が別にあるケースだった。こういうのは患者の様子や言葉の端々から感じ取るしかない。

 つまり「立ちくらみ」は方便で、「逆行性射精」がほんとうに言いたいことである。ここにフォーカスする。

 ユリーフ減量での対応に不満な様子や疑義照会を拒否し、医師との関係を重視する姿勢などを(O)情報とした。

 そして緊急性はないものの、問題がデリケートであることも考慮して、橋渡しは必要と考え、服薬支援を行っている。

□考察
 まずはユリーフ錠の逆行性射精について、関連する記事をIFより抜粋。

シロドシン(カプセル)承認時までに実施された排尿障害患者対象臨床試験の総症例873 例中、副作用は391例(44.8%)で認められた。その主なものは、射精障害(逆行性射精等)150 例(17.2%)、口渇50 例(5.7%)、下痢35 例(4.0%)、軟便34 例(3.9%)、立ちくらみ31 例(3.6%)、鼻閉29 例(3.3%)、めまい23例(2.6%)、ふらつき22 例(2.5%)、頭痛19 例(2.2%)などであった。また、臨床検査値の異常変動は、総症例873 例中185 例(21.7%)で認められた。その主なものは、トリグリセリド上昇62 例(7.4%)、CRP 上昇21 例(3.9%)、ALT(GPT)上昇20 例(2.3%)、AST(GOT)上昇19 例(2.2%)、γ-GTP上昇19 例(2.2%)などであった。
なお、第Ⅲ相二重盲検比較試験では射精障害(逆行性射精等)が175 例中39 例(22.3%)で認められた。

2.重要な基本的注意
(1) 射精障害(逆行性射精等)が認められているので,本剤の投与にあたっては射精障害に関する説明を十分に行い,患者の理解を得た上で使用すること。(「副作用」の項参照)

解説: (1) 本剤による射精障害は、α1 受容体(特にα1A 受容体)遮断に基づく下部尿路組織平滑筋の弛緩により、射精時の膀胱頸部(内尿道口)の閉鎖不全が生じ、精液が膀胱内に逆流してしまう逆行性射精あるいは、α1 受容体(特にα1A 受容体)は精嚢や精管にも豊富に分布していることから、その遮断により、精嚢・精管内圧の低下、収縮の抑制が生じ、後部尿道に精液が出てこない射出障害である可能性が考えられる。

 なるほど。ユリーフの逆行性射精は他の副作用と比べるとやや多い。解説にもあるように、この副作用は薬理作用に起因している。ということは少なからず、解説にある現象は起きていて、用量によって、もしくは生活状況によって、射精障害が自覚されるかどうかが決まるのだろう。

 ならば今回の減量で、症状が改善される、つまり自覚されなくなるかもしれない。しかし、効果面や他剤変更の方が確実であることも考慮すると、やはり他剤へ変更するほうが無難だろう。

 他のα1遮断薬はどうなっているのか。ハルナールは2010年の添付文書改定にて、頻度不明にて射精障害が追加されている。また、フリバスの添付文書には射精障害は見当たらない。これはユリーフのα1 受容体(特にα1A 受容体)の選択性の高さに起因している。

 その選択性の高さこそがユリーフの特徴。つまり血圧への影響は少ないままに、より高い効果を得ることができる。理想的に思えるが、やはり一長一短あるようだ。

 射精障害はデリケートな問題だ。いままでアナウンスがまったくできていなかったことは問題だった。おそらく多くの患者のQOLに影響したことだろう。量が少なかったり、いっても出なかったりしたら、さぞびっくりしたことだろう。メーカ指導箋などをうまく活用することを考えていきたい。

 にほんブログ村 病気ブログ 薬・薬剤師へ

薬剤師ブログタイムズ ブログランキング参加中! クリックしてこの記事に投票

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 7日 (金)

「仕事」と「人生の意味」

ショートショートの代名詞、星新一の長編ファンタジー
愉快で不思議な冒険の中で考えたこと

【仕事とは】 

 「そこの道の石だたみに、小さな穴があいているだろう。いつごろからあいてたのだろうか。わたしの少年のころかもしれない。そこでけつまずく人もいたんだよ。これを、その穴にぴたりとはまるように仕上げようと彫刻しているのさ」 (中略)

 「どうして、そんなのを作る気になってしまったのですか。もっとすごいものを作ればいいのに」 (中略)

 「いいんだよ、これで。そこの道をいろんな人が、わたしに声をかけて歩いていった。声をかけてくれなかった人も、わたしの姿を目にとめていってくれたんだ。その人たちがいたからこそ、わたしはきょうまで熱心に石ととりくんでこられた。あっと声をあげさせ、目を丸くさせるようなものは、とうとうできなかったけれどもね。いまになって考えると、それらがありがたいことに思えてきた。いまとなってはお礼もできない。しかし、この道はこれからも多くの人が通ってゆくことだろう。その人たちの役には立つじゃないか。ころぶ人もなくなる・・・・・・」

 (星新一『ブランコのむこうで』新潮文庫 P. 183-184)

 ここには仕事論が凝縮されていると思う。その中でもとくに仕事そのものについてのことを取り上げたい。

 最後の文章を読んだとき、養老孟司の仕事に対する一節を思い出した。

 仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。

 (養老孟司『超バカの壁 』新潮新書 P. 19)

 こうして引用してみると、まさに解説。「まず自分があるのはでなく、先にあるのはあくまでも穴の方」なのだ。

 そしてそれは他者のためのものであって、業績の大きさなどは二の次にすぎない。なぜなら、結果というものは物差ししだいなのだから。

【人生の意味】

 ぼくがこの場面にいあわせなかったのなら、話は別さ。赤ちゃんたちは、ワニってこわいものだと感じ、こわがることをおぼえるだけだろう。しかし、ぼくはここにいる。この場面にいあわせて逃げたとなると、これはいけないんだ。

 (星新一『ブランコのむこうで』新潮文庫 P. 194-195)

 ここで感じたことは「勇気」や「正義感」といったものではなく、「人生」そしてその意味の独自性だった。

 「どんな時も、人生には意味がある」
 「人間は、人生から問いかけられている存在である」

 これは『夜と霧』で有名なビクトール・フランクルの人生観だ。

 ここで言う「人生の意味」がさきの場面にある。つまり人生とは普遍的なものではなく、ぼく自身がまさに今、この場面でといった独自性をもったものなのだ。

 人間が刻一刻と出会う状況には、それぞれまったく異なる意味が存在している、とフランクルは言います。この状況にはこの意味が、あの状況にはあの意味が当てはまるのであり、決してそれらを統括することなどできません。「意味はその都度の『時の要請』」であり、「毎日、毎時が新しい意味を差し出してくる」のです。フランクルの言う「意味」はあくまでも「今・ここでの・この私の意味」なのです。それは「そもそも人生には、こうした意味があって」といった超・文脈的な性質のものではありません。これを超えたすべての人に当てはまり、人生のすべての状況をも貫き通っているような「人生の普遍的な意味というものは、存在しない」。だから、そんなものを求めても無駄だ、とフランクルは考えるのです。

 (諸富祥彦『人生に意味はあるか』講談社現代新書 P. 164)

 さあ、今日も僕自身の人生の意味を見つけに出かけるとしよう。

 にほんブログ村 病気ブログ 薬・薬剤師へ

薬剤師ブログタイムズ ブログランキング参加中! クリックしてこの記事に投票

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »