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2012年5月 4日 (金)

現場の構造と現場の哲学

アメニティとクレーム
プロの定義、現場の哲学とは

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【近代化の構造とクレーマーとディスアビリティ】

 近代化は、「命の世話」のプロフェッショナルを養成し、それをソーシャル・サービスとしてやっていくという仕組みを整えていったのです。専門職つまりプロに、自分たちがやるべき命の世話を委託し、我々は税金やサービス料を支払って、国家や民間企業からのサービスを購入する、という構造が出来上がったのです。 (中略)

 ケアのプロは、人々をディスエイブルにしてしまうという特殊なプロフェッショナルだと主張した。プロから提供される高度なサービスの陰で、それと反比例するかのように、市民一人ひとりが、命のケア、命の世話をする能力を減衰させ、喪失していったのです。 (中略)

 無能力なわたしたちは、クレームを付けることしかもはやできないのです。その意味で、クレーマーは、近代化が目指した市民の究極な姿なのだと思います。

(鷲田清一『語りきれないこと』角川oneテーマ21 P.72)

 近代化によって快適な社会を手に入れた。でもそれは、そこに住む人々の命のケアにかかわる能力を衰えさせることになる。

 なるほど。たしかに共同体が機能しなくなった現代では、プロに依頼するしかない。それはサービスの消費者、つまり顧客になるしかないことを意味する。

 患者に「ありがとう」といわれる仕事は(とくにわたしたちのような医療者には)やりがいのある構造ではある。しかし、サービスを受ける立場に回ると先のような視点になるわけだ。

 それを善い悪いといいたいのではない。ただクレームが多くなった理由はこうだといわれると合点がいく。ただそれだけだ。

 またこの構造、つまり快適さの罠ともいうべき構造はいたるところにある。たとえば丁寧にPTPにパックされたこの錠剤だってそうなのだろう。悪いわけではない。むしろ業務的にはありがたい。ただこういう快適さが増していくにつれ、何かしらの能力を失っていくことになる。

 「楽をすれば、必ず失うものがある。それは人の世の摂理だ(@柳田邦男)」

 そういえば薬包紙って、いつ折っただろうか。

【プロの逆説的な意識構造】

 どうしていいか分らないときほど、マニュアルに頼る。あるいは、じぶんが学んできたことを復習してやろうとするけれど、それが一番まずい。むしろ専門的知識や技能を棚上げにして、現場に身をさらすこと。そのとき初めて、付き添いさんの知恵というか、眼力の要となるところがおぼろげながらも見えてきます。いざとなったらじぶんの専門性をいつでも棚上げできる用意ができているというのが、プロなのです。(同書 P.163)

 新しいプロの定義だ。そしてまさに逆説的な話だ。真理らしきものは矛盾や逆説的のものの中にある。そんな気がする。

 この定義が「あ~、こういうことだったのか」と実感できるようにこのフレーズは心にとどめておこう。

 先日、同級生のDrと飲んだときのフレーズを思いだした。

 
 「換算式とかじゃないんだよ。患者観ようよ。そんな机上のことはわかってるよ」

 じぶんの専門分野を全面に押しだしているだけのただの資格者とほんとうのプロとのやりとりの結果、にじみ出たフレーズなのかもしれない。

【哲学とは「技術の技術」だ】

 病気を治せない医学は学問ではない。建物を建てられない建築学は学問ではない。学問とは、それで何かができて初めて学問である。そして哲学はその技術の一つではなく、それを推し進めるか否かもふくめてさまざまな技術全体に目配りする、そういう技術だというのです。(同書 P.166))

 正解なしの状況のなかで、わたしたちにとって本当に必要な判断は「分からないけれど、このことは大事」ということを察知できることです。分からないものに直面したときに、分からないままそれに正確に対処できること。これが「技術の技術」としての現場の知恵なのです。 (中略) 「技術の技術」の要は、「賢さ」なんですね。裏返して言うと、分からない事態に直面したときに、すでに分かっている理論で無理に解釈してしまうのが最悪ということです。そこにいま発生しつつある問題を見えなくしてしまうからです。(同書 P.169)

 「まだ若いし、医療者になるなら哲学も勉強しないとね」。MRから薬剤師になるときに、当時担当していたDrからいただいたエールの言葉だ。なぜ哲学することが、つまり自分で考えることが必要なのか、今ならわかる。当時は哲学が何を意味していたのか、正直にいうとわからなかった。ただ思想をなぞることだと漠然に捉えていたように思う。

 医療者も人間、患者も人間。さらに完治・根治の医療から予防・コントロール中心の医療への変遷。症例レベルでは分からないことだらけになるのも当然だ。そして、そのことにうまく対処していくためには「賢さ」が必要なのだ。

 現状の国家資格をもとにした医療のシステムはほんとうによくできたシステムだと思う。よくできているが故に、その資格で働く人間の質が低下しても表面上は機能する。日本の政治のように。

 しかしその資格者を頼りにする患者にとっては大きな問題だ。僕らは、誰に求められることがなくても、人間としての質の向上を目指すべきだと思う。
 

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