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2012年5月25日 (金)

「妊娠しているかも」への投薬

明日が生理予定日で「妊娠しているかも」
患者の不安に対して
妊婦への投薬における原則

CASE 118

25歳 女性  

他科受診:なし  併用薬 :なし

今回の処方:
Rp1) ホスミシン錠500mg 2T/2x朝・夕食後 3日分
    2) プリンペラン錠5mg 3T・ビオフェルミン錠剤 3T /3x毎食後 3日分

患者から得られた情報:
①「妊娠しているかも」
② 明日が生理予定日
③ ①②はDrには伝えている。
④「胃腸炎だろう」といわれた。

□CASE 118の薬歴
#1 服薬への不安をやわらげる
  S) 妊娠しているかも。明日が生理予定日。
 O) Drには伝えている。不安な様子(+)
    胃腸炎にてRp1)2)処方
 A) 絶対過敏期だがサリドマイドでも31日まではNP。
    さらに処方薬は安全性が高い
 P) 妊娠していたとしても、妊婦にも使われる薬ですし、
   薬の影響を受けない期間にはもうすこし余裕があるので、
   3日間はしっかり飲んで大丈夫。
    その後は過敏な時期なので、自己判断は禁物です。
      
 
□解説
 明日が生理予定日ということは絶対過敏期にあたる。「生理が遅れている」「妊娠しているかも?」くらいがいちばん薬の影響を受けやすい。

 Drには状況を伝えているし、Drも安全性の高い薬を選んでいる。この状況でできることは安心して薬を飲んでもらうこと。それしかない。

 A)で示した「絶対過敏期だがサリドマイドでも31日まではNP」はCASE 117でも引用した下記を根拠にしている。

 また、サリドマイドの服用時期とそれによって生じた奇形の間には明確な因果関係が知られている。最終月経から32日以前、あるいは52日以降の服薬では奇形が発生していない。このことはサリドマイドであっても受精後2週間は先天異常を引き起こさなかったことを示している。 
(林昌洋『高リスク患者への薬学的ケア 研修用テキスト』日本薬剤師研修センター  P.18)

 妊婦に通常使用し得る薬剤であること。そしてまだ日程的にはじつは大丈夫であること。これらを材料に安心して服薬するように促している。

 
 
□考察
 今回のケースでは、患者の不安をやわらげるためだけに知識を用いた。なぜなら特別なリスクがほとんどないからだ(通常成人への投薬と変わらないの意)。CASE 117ではこの分野の知識の使いかたを誤った。

 妊婦への投薬は、まずリスクをできるだけ回避する。そのうえで必要な薬はできるだけ安心して飲んでもらう。

 これを原則として刻んでおこう。

 
 そして患者に安心を与えるためには薬剤師の自信が必要だ。そう言い切るための根拠。これがなければ「心配はいらない」というメタ・メッセージは伝わらない。

 今回はその根拠がふたつもあった。メタ・メッセージはきっと伝わっただろう。
 

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2012年5月18日 (金)

八味地黄丸とその派生処方 その2

八味地黄丸と牛車地黄丸はどう違う?
違いは車前子と牛膝
とくに牛膝の特徴をおさえておきたい

 腎虚において特筆すべき症状といえば、「ひざがガクガクする」ことだ。これがあれば間違いない。そこで登場するのがこの2剤。西洋医学にはリハビリしかない。

【基本処方:八味地黄丸(詳細は八味地黄丸とその派生処方 その1参照
 「腎」は「精力」と考える。ゆえに生理的な腎虚とは、いわゆる老化現象のことだ。具体的には夜間尿、小便不利、腰や下肢がだるくて力が入らない、老年性喘息、白内障、認知症などである。また病理的な腎虚もある。
 これらの状態を補うのが補腎剤だ。その中でも八味地黄丸は特に有名だ。
 

 No.7(八味地黄丸):地黄、山薬、山茱萸、沢瀉、牡丹皮、茯苓、桂枝、附子
 
 適応:腎陽虚

 地黄(主薬)、山薬、山茱萸はいずれも補腎薬である(「三補」)。いっぽう、沢瀉、牡丹皮、茯苓は「三瀉」といわれ、補腎薬をサポートしている。ここまでで全体の性質は寒性・補性・潤性となっている。これに桂枝、附子を加えることで、全体の性質が寒性から熱性となる。

 腰や下肢の脱力感にくわえ、四肢の冷えや寒がり、夜間頻尿、インポテンツなどを伴うような腎陽虚の症状に用いる。

【八味地黄丸の派生処方】

 No.107(牛車腎気丸):地黄、山薬、山茱萸、沢瀉、牡丹皮、茯苓、桂枝、附子、車前子、牛膝

 適応:腎陽虚、利水消腫

 八味地黄丸(別名:腎気丸)に牛膝(牛)と車前子(車)を加えると牛車腎気丸になる。車前子には利水作用があり、むくみや尿量減少を改善する。また牛膝は、牡丹皮と同じ駆瘀血薬(血液循環障害を除く)であり、その作用を強化する。

 さらに牛膝には「下肢に他の生薬をつれていく」という案内人としてのはたらきがある。

 よって牛車地黄丸は、腰や下肢の脱力感、四肢の冷え、下肢のしびれや痛み、むくみ、排尿困難に対して効果を示す。

 牛車腎気丸の臨床応用は腰・下肢に集中している。たとえば、坐骨神経痛や腰部脊柱管狭窄症、慢性腎炎、前立腺肥大症などである。いずれも腰や下肢に症状があらわれている病態に効果を示す。

 
 近年よく用いられているのが、糖尿病性の末梢神経障害や腎症だ。ここで注意したいのが末梢神経障害のしびれに対してだ。前述した通り、牛膝を含むこの方剤は下肢にはよく効くが、上肢にはあまり効かない。上肢のしびれには桂枝加朮附湯などを考慮したい。

【投薬時の注意点】

 共通する注意点:
 
① 地黄を含むので、胃腸虚弱や軟便・下痢などには慎重に。
  食後投与を基本とする。

 ② 附子を含むので、動悸やのぼせ、舌のしびれ、悪心などに注意する。
  また、手足のほてりやのぼせ、口や咽頭部の乾燥感のあるものには避ける。

 No.107(牛車腎気丸):上肢のしびれや痛みにはあまり効かない。
 

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2012年5月11日 (金)

ナウゼリンと妊娠?

知識と情報をどう使うか?
いちばんたいせつなことは何なのか?
迷いや後悔とならないための方針

CASE 117

20歳 女性  

他科受診: 耳鼻科

併用薬 (お薬手帳より) :
Rp1) クラリチン錠10mg 1T/1x夕食後 28日分
  2) アラミスト点鼻液27.5μg 1本

今回(5月9日来局)の処方:
Rp3) ガスターD錠10mg 2T/2x朝・夕食後 3日分
   4) ナウゼリン錠10mg 3T/3x毎食前   3日分

薬歴から得られた情報:
① 2回目の来局(CASE 116 の患者)
② Rp3) 4)は前回Do

患者から得られた情報:
① 吐き気(+)、食欲(-)
② 「妊娠はしてないと思うけど・・・」
③ 生理予定日は月末の30日くらい。

□CASE 117の薬歴
#1 無影響期のナウゼリンと残薬
  S) 妊娠はしてないと思うけど・・・
 O) 吐き気(+)食欲(-)→ナウゼリン処方
    生理予定日は月末30日くらい
 A) 無影響期なので3日間はNP
    ナウゼリンには催奇形性があるので残薬が心配
 P) ナウゼリンは生理予定日以降はぜったいに飲んではいけない。
    3日経過したら、余っていても捨ててしまうこと。
 
□解説
 最終月経初日からの日数が28日未満は無影響期とよばれ、薬の影響を受けることはない(半減期が長い場合は考慮が必要になる場合もある)。

 このことはあのサリドマイドが証明している。

 また、サリドマイドの服用時期とそれによって生じた奇形の間には明確な因果関係が知られている。最終月経から32日以前、あるいは52日以降の服薬では奇形が発生していない。このことはサリドマイドであっても受精後2週間は先天異常を引き起こさなかったことを示している。 
(林昌洋『高リスク患者への薬学的ケア 研修用テキスト』日本薬剤師研修センター  P.18)

 今回のケースでは、次回の生理予定日を30日として今が9日だから、無影響期で間違いない。

 ナウゼリンは動物実験において催奇形性が確認されている。ゆえに妊婦には禁忌となってはいるが、無影響期においては当てはまらない(だって無影響期だから)。むしろ問題は残薬だ。

 吐き気止めの類は症状が改善してしまうと、服薬を中断することが多い。つまり、リスクのある薬が手元に残ってしまうことになる。そのリスクを回避するために、処方日数の3日が過ぎたら、破棄するようにアナウンスしている。

 
□考察
 投薬後に後悔した。やっぱり疑義照会をしてプリンペランなどに変更してもらえばよかった、と。

 たしかに理論上は問題ない。スケジュール的にはまだ受精すらしていないかもしれない。でも残薬というリスクは残ることになる。そして疑義照会さえしておけば、そのリスクすら雲散する。

 「妊娠しているかもしれない」そして「より安全な薬がある」。であるならば、すぐに疑義照会へと行動を移すべきだ。

 無影響期なのかどうかといった情報を用いるのはそのあとだ。今回のケースなら、患者に安心を与えるようにその情報を使えばいい。そのための知識であるべきだった。

 知識の使い方を誤ったケースとして記しておく。

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2012年5月 4日 (金)

現場の構造と現場の哲学

アメニティとクレーム
プロの定義、現場の哲学とは

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【近代化の構造とクレーマーとディスアビリティ】

 近代化は、「命の世話」のプロフェッショナルを養成し、それをソーシャル・サービスとしてやっていくという仕組みを整えていったのです。専門職つまりプロに、自分たちがやるべき命の世話を委託し、我々は税金やサービス料を支払って、国家や民間企業からのサービスを購入する、という構造が出来上がったのです。 (中略)

 ケアのプロは、人々をディスエイブルにしてしまうという特殊なプロフェッショナルだと主張した。プロから提供される高度なサービスの陰で、それと反比例するかのように、市民一人ひとりが、命のケア、命の世話をする能力を減衰させ、喪失していったのです。 (中略)

 無能力なわたしたちは、クレームを付けることしかもはやできないのです。その意味で、クレーマーは、近代化が目指した市民の究極な姿なのだと思います。

(鷲田清一『語りきれないこと』角川oneテーマ21 P.72)

 近代化によって快適な社会を手に入れた。でもそれは、そこに住む人々の命のケアにかかわる能力を衰えさせることになる。

 なるほど。たしかに共同体が機能しなくなった現代では、プロに依頼するしかない。それはサービスの消費者、つまり顧客になるしかないことを意味する。

 患者に「ありがとう」といわれる仕事は(とくにわたしたちのような医療者には)やりがいのある構造ではある。しかし、サービスを受ける立場に回ると先のような視点になるわけだ。

 それを善い悪いといいたいのではない。ただクレームが多くなった理由はこうだといわれると合点がいく。ただそれだけだ。

 またこの構造、つまり快適さの罠ともいうべき構造はいたるところにある。たとえば丁寧にPTPにパックされたこの錠剤だってそうなのだろう。悪いわけではない。むしろ業務的にはありがたい。ただこういう快適さが増していくにつれ、何かしらの能力を失っていくことになる。

 「楽をすれば、必ず失うものがある。それは人の世の摂理だ(@柳田邦男)」

 そういえば薬包紙って、いつ折っただろうか。

【プロの逆説的な意識構造】

 どうしていいか分らないときほど、マニュアルに頼る。あるいは、じぶんが学んできたことを復習してやろうとするけれど、それが一番まずい。むしろ専門的知識や技能を棚上げにして、現場に身をさらすこと。そのとき初めて、付き添いさんの知恵というか、眼力の要となるところがおぼろげながらも見えてきます。いざとなったらじぶんの専門性をいつでも棚上げできる用意ができているというのが、プロなのです。(同書 P.163)

 新しいプロの定義だ。そしてまさに逆説的な話だ。真理らしきものは矛盾や逆説的のものの中にある。そんな気がする。

 この定義が「あ~、こういうことだったのか」と実感できるようにこのフレーズは心にとどめておこう。

 先日、同級生のDrと飲んだときのフレーズを思いだした。

 
 「換算式とかじゃないんだよ。患者観ようよ。そんな机上のことはわかってるよ」

 じぶんの専門分野を全面に押しだしているだけのただの資格者とほんとうのプロとのやりとりの結果、にじみ出たフレーズなのかもしれない。

【哲学とは「技術の技術」だ】

 病気を治せない医学は学問ではない。建物を建てられない建築学は学問ではない。学問とは、それで何かができて初めて学問である。そして哲学はその技術の一つではなく、それを推し進めるか否かもふくめてさまざまな技術全体に目配りする、そういう技術だというのです。(同書 P.166))

 正解なしの状況のなかで、わたしたちにとって本当に必要な判断は「分からないけれど、このことは大事」ということを察知できることです。分からないものに直面したときに、分からないままそれに正確に対処できること。これが「技術の技術」としての現場の知恵なのです。 (中略) 「技術の技術」の要は、「賢さ」なんですね。裏返して言うと、分からない事態に直面したときに、すでに分かっている理論で無理に解釈してしまうのが最悪ということです。そこにいま発生しつつある問題を見えなくしてしまうからです。(同書 P.169)

 「まだ若いし、医療者になるなら哲学も勉強しないとね」。MRから薬剤師になるときに、当時担当していたDrからいただいたエールの言葉だ。なぜ哲学することが、つまり自分で考えることが必要なのか、今ならわかる。当時は哲学が何を意味していたのか、正直にいうとわからなかった。ただ思想をなぞることだと漠然に捉えていたように思う。

 医療者も人間、患者も人間。さらに完治・根治の医療から予防・コントロール中心の医療への変遷。症例レベルでは分からないことだらけになるのも当然だ。そして、そのことにうまく対処していくためには「賢さ」が必要なのだ。

 現状の国家資格をもとにした医療のシステムはほんとうによくできたシステムだと思う。よくできているが故に、その資格で働く人間の質が低下しても表面上は機能する。日本の政治のように。

 しかしその資格者を頼りにする患者にとっては大きな問題だ。僕らは、誰に求められることがなくても、人間としての質の向上を目指すべきだと思う。
 

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