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2012年4月 6日 (金)

日本の伝統医学「漢方」存続の危機

漢方は日本独自の伝統医学
その漢方が存続の危機に
現代人の利己主義がその背景にある

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【漢方は非科学ではない】

 人間を生物として見ると、少なくともこの二〇〇〇年ほどの間で、その本質に大きな変化はないはずだ。人間の本質が変わらない以上、当時用いられていた薬が、現在も有効であることも驚くには当たらない。日本では江戸時代まで感染症治療の主薬は漢方であり、実際に効果を上げてきたのである。このことを「近代的でない」「科学的でない」と否定する考え方こそ、科学的とはいえない。

(渡辺賢治『日本人が知らない漢方の力』祥伝社新書 P.16)

 人間の本質は変わらない。たとえば、古典。当時の人に影響を与えた思想や書物は、いまなお多くの人に影響を与えつづけている。

 江戸時代に効果のあった漢方が現代人には効果がない。どうして、そんなことはあるはずがない。

 「科学的ではない」というのは、ただ「西洋医学的ではない」といっているにすぎない。漢方は証に基づいて処方されるために、RCTによるエビデンスの提示には不向きだ。それは端に手法の問題なのではないだろうか。

 ほんらい、「科学的」とはどういう意味だろうか?

 科学とは「誰にでも再現できるもの」である。また、この誰にでも再現できるステップを踏むシステムこそが「科学的」という意味だ。

(森博嗣『科学的とはどういう意味か』幻冬舎新書 P.75)

 であるならば、漢方を科学的ではないといっている人は、このステップを踏むシステムが理解できない、つまり証の判断ができないといっているのとなんら変わりないのだ。

【日本独自の伝統医学としての漢方が注目されている】

 「漢方」のルーツは古代中国だが、日本独自に発達した医学である。(中略)日本の伝統医学は中国の否定から始まっている。なぜ、中国から離れたかといえば、起源においては非常に実践的だった古代中国の医学が、時代が下るとともにどんどん観念的になっていったからだ。(中略)これに対して日本では、抽象的な理論よりも実学を重視したのだった。(渡辺賢治『日本人が知らない漢方の力』祥伝社新書 P.106)

 今、漢方では証はおよそ八〇に分類され、医療用の漢方薬は一四七種が使われている。ある意味ではもの足りない面もあるのだが、シンプルでわかりやすく、現実に即している点は大きな漢方の特徴だ。
 一方、中医学の証は約三〇〇〇もある。緻密に理論を組み立てて証を診断し、生薬をひとりひとりに合わせて処方する、漢方以上のオーダーメイド医療なのだが、医師の技量によって医療の質にばらつきもきわめて大きく、問題になっているのである。(同書 P.109)

 日本の「漢方」は『傷寒論』や『金匱要略』といったシンプルな指示書の時代のものを採用し、江戸時代に花開くことになる。八代将軍吉宗、暴れん坊将軍の時代には「漢方は日本独自の発達を遂げて、世界でも最高水準の医学へと到達」していたそうだ。

 この日本独自の伝統医学としての「漢方」がいま世界から注目されている。

 西洋医学にも限界があり、とくに専門分化された西洋医学の隙間を埋めるものとして期待されているからだ。さらにリーズナブルでもある。現時点では・・・。

【漢方のグローバル化による漢方存続の危機】

 高齢社会の日本が、「統合医療の先進国」であることを活かしていくべきときに、漢方が存続の危機にあるといっても少しも大げさではないのである。
 その理由は大きくわけると、

 1、生薬資源の枯渇
 2、中国が狙う「中医学」の標準化
 3、国民の無関心

 の3つである。(中略) 日本では薬価が(国に)決められているため、医療用の漢方薬は製品の価格に転嫁できない。現実として、不採算となった漢方薬が消えつつある。
 漢方薬がなくなれば、漢方そのものがなくなってしまう。

 (渡辺賢治『日本人が知らない漢方の力』祥伝社新書 P.29)

 インフルエンザシーズン、麻黄湯に規制がかかることがあった。それは麻黄湯が見直されて生産が間に合わないのだろうと思っていた。しかしその裏にはもっと込み入った事情があったのだ。

 中国は麻黄と甘草に輸出制限をかけている。さらに世界も生薬を求めだした。日本に入ってくる量は決まっているうえに、メーカも麻黄湯ばかりをつくるわけにもいかない。この2つの生薬は多くの方剤に使われているからだ。

 たとえば、あるメーカでは、麻黄湯の売りを上げても会社から評価されないのに対して、小青竜湯は数字を追われる品目になっている。それは小青竜湯の方が薬価が高いから。生薬の仕入れ値がどんどん上がっている中で、それを低薬価の商品に回していたのではメーカもやっていけないというわけだ。

 つまり医療用漢方をいまの薬価のシステムの中において置くことが問題なのだ。なぜなら生薬は農産物に近いのだから。せめて薬価をもっと引き上げるべきだろう。

 しかし保険適応から外してはならない。今の日本の医療の現状に鑑みると、それは漢方を、日本の伝統医学を捨ててしまうことに等しい。

 それほどまでに事態は切迫している。このままでは漢方は確実になくなってしまう。
 国民に問われているのは「漢方を国民の医療として残すかどうか」という、もっとも根本的なところだ。ここからスタートすることが肝要だ。

 (渡辺賢治『日本人が知らない漢方の力』祥伝社新書 P.208)

 漢方に(そもそも医療や教育といったものに)市場原理主義はなじまない。

 消費者的にふるまえば、いまの安い薬価での医療用漢方を要求しつづけることになる。テレビのコマーシャルを見て、防風通聖散を医療用で処方してもらっている方などはその典型だ。

 しかしそれは、いまのままの漢方のブームは、漢方の消滅につながるのだ。ちょっと視野の射程をのばして、みんなで考える必要がある。漢方を、日本の伝統医学を守っていかなくていいのか。いまだけ、自分だけがよければいいのか。

 まずこういう問題が突きつけられているという認識をもつこと、ここから始めるしかない。

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